中国の世界覇権に異議!

国際情勢の「今」をお届けする!

宮沢さん宅:成城のポツンと一軒家だった?軍人的にも感じる…

12月13日付けJNN。宮沢さん一家殺人事件で成城署による駅前広報活動が行われた。こんなレベルじゃ情報提供にもならんが、改めて映像を見て思う。この自宅は周りから孤立しており、いまでいう『ポツンと一軒家』。それが成城にあったという点。なぜ犯人はこの地形を知っていたのか。グーグルマップもない時代に。孤立した住宅は軍人などからすれば攻撃しやすいということかもしれない。いきなり当日はじめて宮沢さん宅を訪問したといのは考えずらい。しかし宮沢さんが成城でどのように行動していたかもポイントか。もしかしかたら家族の誰かが付けられたか。成城・砧や祖師谷や千歳船橋ってあのあたり入り組んでいる。犯人はそこまでどうきたのか。歩き?車?バス?まさかバイク。交通手段で犯人性がある程度割れる。また一晩過ごすという大胆な手段だったが、それが実は安全策だったのか。周囲の安全が視覚的に確認できるまで現地にとどまる…軍人的なにおいがする。夜明けて逃げたのが不審との報道もあった。でも逆に考えたら犯人はそれだけ夜の行動の危険さ(夜襲)を知っていた。単独犯はそうかもしれない。一人だから夜の危険が高まる。スマホもない時代。どこへ向かって逃げたのか。日差しを一つのヒントにして、方角を探ったのでは。まさに軍人的だ。トミーリージョーンズ、渡辺謙の『逃亡者』のように成城から狛江まで歩いてもものの数時間だ。そこで多摩川へ飛び込んだ。そしたら多摩川河口近くか。狛江付近で泳いで河童のような人でもおぼれかけたことを知っている。川崎市。そこに犯人のアジトもしくは支援者がいたのかもしれない。川崎市はじつはこれまた入り組んでいる。みんな知らない貨物駅まである。川崎臨港まで出て、船で逃げられたら、宮崎県日向港に翌日つく。まさか南九州まで作戦が展開していた恐れを本ブログは痛感する。九州まで行けば船で韓国だって沖縄だっていける。逆をついて小倉港に入り、大阪南港でもいったか。大阪南港は関空のそばで、まだ東亜国内交通もあったかも知れない。中国広州へ?そうすると香港までバスでも電車でも行けた。その犯人が中国籍・香港籍でなければ。こうなるとGメンの世界に入る。

 

でも最大の疑問は宮沢さん宅で一家を惨殺し、一晩過ごし、家から出た。そこで目撃がないのか。ずばり変装したのでは。宮沢みきおさんに。この手の犯罪は現場からの離脱時が一番気を遣う、犯人は。12月31日はあのあたりゴミ収集はあったのか。多分ない。それを知っているのは日本である程度滞在したことのある人物だからでは。ゴミ収集が絶対来ない日をねらった。年賀状も年内の為届かない。なんで日本の年賀状習慣しっているのか。ある程度、日本に滞在したことのある犯人。郵便配達の時間まで知っていた。千歳船橋局が集配すると思う。ついでに言えば新聞配達人である。当然、警察は聞き込みしている。その時間から空白が生まれうる。コンビニはあまりない時代だったかも。もしかしたら南武線。登戸・川崎ルート。あの当時の登戸はバラックもあったと思う。実は狛江・登戸・宿河原→川崎っていうのは考えうるルートで、ちょっとひげが出ていても車内で不審がられなかったと思う。京急大師線で川崎大師を経て大阪臨港へ至る。川崎大師の露店などにもまぎれた可能性もある。一方で川崎大師まできたら、年始の初もうでにまぎれたことすら考えられる。一週間程度は川崎市のアジトもしくは支援者のもとでゆっくり過ごしたのかもしれない。川崎大師はオブジェがちょっとあれで、中には参拝を隠した事例もあった。みんな来ても知らん顔。向ケ丘遊園は今よりもっと繁盛しており、遊園地までモノレールが通っていた時代のなごりが残っていた。

 

ともかく成城に一番近い交通の要所で、年始に人が雑踏するのは川崎市だと思う。宮沢さんに似せるためにあえて一晩を家で過ごした。無精ひげが思い出される、宮沢みきおさん。変装してもこのレベルになるまで犯人は現場で待った。つまり、色白で、もともとはひげがうすい人物だったか。