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歌舞伎町ホスト文学、それ人の力!アントニオ猪木だって偉大な詩人!

人がいれば文学になる。それ本当。12月16日付けNNN。歌舞伎町がホスト文学。それはそうだ。作家の俵万智さんが解説。なるほど。本ブログは日本語で詩歌・短歌・俳句の究極って韻だと思う。日本語は音声での情報発信が極めて乏しい。スミスさん。それスマイスさんてことも。音だけだと雑な情報のキャッチボールしかできない。本ブログは内容の正確性を第一に、流れ・音声・ごろ・独自分析などを極力踏もうとしている。例えば本稿。「人がいれば」で始まる。インを大事にすれば、2節目は「獣がいれば」で受ける。つまり銀河鉄道999のガス車掌が次回を予告するシーン。車掌は完璧なインを踏んでいる。一例。星が泣いている、空が笑っている、とか。インは小椋佳より谷村新司というイメージ。最近ではNHKで特集したZARDZARDは曲の尺をさきにきめて言葉をインに落とし込んで、繰り返したり、引いてみたり、一種の聴衆との駆け引きを重視した。それすなわちライブ。ZARDは聴衆との駆け引きを常に展開したから、好不調が激しかったと思う。俺は行けなかった。ほか「君は北へ至りけり、我は南へ下りたり」とか。谷村新司の昴。我はゆく~、我はゆく~と重ねることで韻を表現。1節目はさげさげ、2節目はあげあげ、これを転調というかも。いま、「私はだまされない」。韻を踏んだら「私もだまされない」とか。谷村新司加山雄三山口百恵など大物歌手にもインや転調を要求した。日本のプレスリー大瀧詠一は不思議な一節が繰り返すという離れ業を確立した。一つのメルクマールはV6の「way of life」。構成員がぐるぐる回って同じテンポを繰り返す。追いかけていく、追いかけてく。